しばらくぶりに・・・
2007年10月05日 (金) | 編集 |

更新します330


今日は、作曲家「カール・マリア・フォン・ウェーバー」のついて343


ウェーバーが生まれたとき、親戚には30歳のモーツァルトがいました。


父は息子を第2のモーツァルトに!と、鼻息荒く、過度な勉強を強制しました。


しかし、生まれつき病弱だったウェーバー。


それに加え、ピアノの先生であった兄からは、「弟には才能がありません」と、さじを投げられる始末。


これは、ストレスという言葉もまだ似合わない少年時代のことで、結果、音楽的な基礎は身についたからよしとして、これは深刻。ウェーバーが17歳のころのお話。


ある歌劇場で、初めて音楽監督をまかされた彼は、劇場を改革しよう、と、はりきっていた。


演奏の質をよくするため、当時では考えられなかった練習法や、オーケストラの配置変えも実行した。


しかし、彼の理想とは裏腹に、退団したり、指示を無視する楽団員があとを絶たず、ウェーバーは疲れきってしまった。


そんなある日、酔いつぶれた彼は、とんでもないものを飲んでしまう。


それは、父が銅板印刷に使っていた硝酸だった。


ワインのビンにはいっていたのを間違えて飲んでしまったのだが、ストレスによる自殺未遂という説もある。


新しいことを始めようとすると、必ず反感を買うのが世の常というわけだ。


彼の理想を実現させるのは、しばらくおいて、ほかの土地でのこと。


そのドレスデンで彼の路線を継いだのが、ワーグナーである。


【カール・マリア・フォン・ウェーバー】1789.11.18~1826.6.5


ドイツのロマン主義的なオペラ作曲家の先駆者。幼少期は父の劇団と放浪の旅を続け、14歳で自作オペラを上演し、17歳でブレスラウの歌劇場の楽長に。その後は、プラハやドレスデンの劇場の指揮者となり、オペラ『魔弾の射手』で一躍有名に。しかし、元来の病弱がたたり、39歳で短い生涯を閉じた。


~月刊Piano 2006年9月号より~

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古い映像であるが、懐かしい思いもあって、とっても鮮明に見える。もう亡くなってしまったプライやポップもとっても若々しく明るく、またとっても巧い歌を聴かせてくれるし、かなりの高齢でありながら、長丁場を振り通したベームの姿が見られるのも嬉しい。保守的でありなが
2008/01/05(Sat) 23:30:08 |  オペラ作曲家がいいと思う